前田慶次郎利益
黒猫の一言:
さて、相変わらず傾いている黒猫でありますが、
今日は、花の慶次の主人公である前田慶次郎利益について触れてみましょう。
まず、この前田慶次という武将、歴史上であまり研究が行われておらず
かなり曖昧、不明な点が多い人物です。
とりあえず、手当たり次第調べてみましたが・・・
多くの資料で共通なのが戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、
武勇に優れ、古今典籍にも通じた文武両道の将と言う事と
奇矯な振る舞いを好む傾奇者としても知られたってのがありました。
現在の知名度は、マンガや小説、ゲームといったものの影響が多く
特に私が愛しているパチンコ台 CR花の慶次でも有名な
隆慶一郎の作品である「一夢庵風流記」を原作にした原哲夫の歴史漫画
「花の慶次 -雲のかなたに-」の影響が大きいとされています。
・名前に関して
私はやはり前田慶次郎利益が馴染み深いのですが
通称は慶次郎、慶二郎、啓次郎と呼ばれた説あるそうです。
幼名は宗兵衛という説が多い。
また諱(いみな)は利益の他に、利太、利大、利貞、利卓など
複数の名で伝わっていてはっきりはしていません。
また花の慶次の中では、一夢庵ひょっとこ斎と名乗る場面がありますが
穀蔵院飄戸斎(こくぞういん・ひょっとさい)と名乗った説もあります。
これは、関が原の後米沢に移住してから?
・生年に関して
これも多説があり定かではありませんが、1533年?1555年頃に
現在の愛知県のあたりで生まれたとされる。
1533年もしくは1541年の説が有力だそうです。
・家柄
実の父親は、織田信長の重臣である滝川一益の一族である
滝川益氏とされている。
慶次を身ごもった状態で、実母が前田利久と再婚したため
養子となり、前田の姓を名乗った説が有力らしいが
生まれてから、養子になった説もある・・・???
っというわけで、調べてみてもほとんど資料が出てきません・・・
なので、様々な説があり、分かりにくいのでこの辺で終わりにしていいでしょうか?(笑)
さて、またパチンコからみの話になりますが、
先日の記事で書きました、
戦モード中の挿入歌「漢花」のセリフについて
これは前田慶次が「関ヶ原の戦い」 の後、
上杉家に仕官し、米沢城外の堂森善光寺で晩年をすごした時
自らを 「無苦庵」 と名乗り「苦しみの無い庵」としていたそうです。
つまり自由人だった彼らしい名前なんですね。
そして米沢城外の堂森善光寺にて書いた無苦庵記がこちら。『無苦庵記』より
抑批無苦庵は
孝を勤むべき親もなければ
憐れむべき子もなし
こころは墨に染ねども
髪結ぶがむずかしさに
つむりを剃り
手のつかひ不奉公もせず
足の駕籠かき小揚やとはず
七年の病なければ
三年の蓬も用ひず
雲無心にして岫を出るもまたをかし
詩歌に心なければ月花も苦にならず
寝たき時は昼も寝
起きたき時は夜も起きる
九品蓮台に至らんと思ふ欲心なければ
八萬地獄に落つべき罪もなし
生きるまでいきたらば
死ぬるでもあろうかとおもふ
詳しい意味は、説明できませんが、辞世の句ではなく
自らの人生を“欲もなければ罪もない”とし、
生きるまで生きたら、どこで死んでも良いと結んだ
自分の生きざまを書いたと言われています。
没年においても諸説があり、
一番多かったのは慶長十七年(1612年)六月四日に亡くなり、
米沢藩内にあった堂森善光寺または北寺町一花院(現在は廃寺)に
葬られたとされています。
傾奇者としての意地を通し、権力に屈することなく
男気にあふれ、風流を愛して戦国の世を自由に生きた男、
それが前田慶次です。





























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